柏 マイ・ラブ

8月10日の「柏」の記事の続編。

柏 駅前商業に陰り 郊外大型店、TX開通で転機
東京新聞、2008年7月20日
商都・柏の中心として発展してきたJR・東武野田線柏駅周辺の商業が転機を迎えている。ここ数年、郊外への大型商業施設の進出や、つくばエクスプレス(TX)の開業で、客足に陰りが見えていたが、三月に柏駅周辺を対象とした中心市街地活性化基本計画がスタートした。(中略)駅前商業の新たな将来像を描く時期にきている。
柏駅周辺の発展の礎は、一九七三年に完成した再開発事業にさかのぼる。東口にダブルデッキが完成し、百貨店のそごう高島屋が相次いで開業、茨城県や埼玉県からも買い物客を集め、商圏人口は二百万人以上ともいわれる。
十年ほど前からは、イメージアップを狙って商工関係者が音楽イベントなどを企画、「若者のまち」をアピールしている。路地裏に集う古着店や雑貨店を指す「裏カシ」という言葉も生まれた。
しかし、数年前から状況は一変した。郊外に大型商業施設が相次いで完成すると、駅の乗降客や回遊する歩行者が減り、それに伴い小売販売額も減少した。
二〇〇五年には市北部にTXが開通。もともと研究機関が集中していた沿線の柏の葉地区では、「柏の葉国際キャンパスタウン構想」を掲げ、新たな町づくりが始まった。TX柏の葉キャンパス駅前には大型商業施設高層マンションが建設され、都心へのアクセスの良さも手伝って人口は急増中だ。
こうした状況に危機感を募らせた柏駅周辺の商工関係者は〇六年十一月、「柏市中心市街地活性化協議会」を設立。今年三月には市が策定した中心市街地活性化基本計画が国の認定を受け、五カ年計画がスタートした。
目玉は地上二十九階のタワーマンションや新中央図書館などが入る二つの複合施設を建設する再開発計画だ。老朽化したダブルデッキも補修する。
柏駅前通り商店街の小柳満雄理事長は「人の流れが変わるはず」と期待を寄せる(後略)。

柏市中心市街地活性化基本計画」はあれからまだ読んでいないけど(おいおい)、柏市はいろんな意味で日本の「典型的」な都市ではないかと思います。それゆえに、柏市について考えることが、他の多くの都市について考えることに(そのままではないにせよ)つながるのではないかと思います。
つまり、日本の多くの都市が柏市のように「ファスト風土」化(三浦展)、すなわち、画一化しているのであれば、柏市について考えることが、一挙に日本全体について考えることにつながるという可能性もある(セカイ系?)ということです。
でも、よく考えてみると、僕が「効率性」の公理から都市理論を創造してるのは、じつは僕が「ファスト風土」で育ったからかも知れない。「ファスト風土」とは、ほとんど「効率性」しかないような場所だからね。もし僕が京都とかの伝統的な街で育っていたら、このような都市観など抱くことはなかったかも知れない。
(・_・ヾ
8日にブログに書いた「北京オリンピック」の記事でのミスチル「ランニングハイ」の歌詞

亡霊が出るというお屋敷を キャタピラが踏み潰して
来春ごろにマンションに変わると代理人が告げる
また僕を育ててくれた景色が 呆気なく金になった
少しだけ感傷に浸った後 「まあ それもそうだなぁ」
Mr.Children、ランニングハイ)

(リンクが切れていたらここ
「babyism」の「僕を育ててくれた景色」にも書いたけど、こういう景色の中で育つと人の心は一体どうなるのだろう、僕を育ててくれた景色が次々に書き換えられていく環境から、僕は何を見い出し、何を記憶しているのだろう、「効率性」以外に。
ひょっとしたら、僕が「効率性」を掲げてるのは本当はただのチキンレースで、現在の都市を否定するために、現在の都市が金科玉条としている「効率性」への衝動よりも更に効率的な方法を創造することによって、精神的に“勝利”すなわち“復讐”がしたかったのではないか、とかまで考えが暴走した。*1
または、僕は殴られたのだからナイフで刺し返しても正当防衛だよ、という理屈にまみれたモラリティではないか、しょせん、僕はそんな男だろう。
まあ、こんなことはブログに書くほどのことでもないと思ってたけど、福嶋亮大*2という批評家のブログをみて、これは書いてしまおうと思った。

隔離された過去」(福嶋亮大、8月8日)
(前略)ぼくは自分のことを「ポスト戦後」世代なのだと思っています。要するに、戦後民主主義が積み立ててきた世界とは根本的に違う世界になってしまった、その変化を直に受けた世代なのだと思っています。そこでは、幼年期の自分と成人期の自分とが完全に切り離されている。かつて世界に対して抱いていた感覚と、いま世界に対して抱く感覚はまったく異なっている。というか、そもそも「異なっている」という比較の感覚を抱くことすら難しい。
むろん、それはあらゆる世代がそうなのだ、とたしなめられそうですが、たぶんそうでもない。たとえば、浦沢直樹の『20世紀少年』は、大阪万博の頃の少年時代の記憶にいわば“復讐”される物語です。しかし、そういう記憶の連続性すら、もはや担保されないのではないか。記憶で繋げることもできないほどに、世界は根本的に変わってしまった。記憶の連続性は外側から力ずくで千切られてしまい、もはやそれを修復することはできない。したがって、いまの新世界にどれだけ適合したとしても――あるいは逆にやり場のない「怒り」によってその新世界を破壊したとしても――、時空の果てに置き去りにされた過去の自分を取り戻すことはできない(後略)。

「記憶の連続性は外側から力ずくで千切られてしまい、もはやそれを修復することはできない」、その通りかも知れない。もはや僕たちは、現在を席巻する高度資本主義の波に乗るしかないというリアルな認識が、「効率性」を主眼とした都市理論の創造へ僕を駆り立てているのかも知れない*3。過去の記憶は、ハンディカメラで撮った映像の中にあれば十分だろう、と。いや、その映像の背景が素っ気ないコンクリート造の校舎であれ、華やかなディズニーランドであれ、幼い僕を見守る父の背中に、人としてあるべき何かを伝えているこのリアリティ――それは「記憶の連続性」の唯一の「担保」かも知れない――に、僕はもっと謙虚に学ぶべきなのかも知れない。

とりあえず、これから僕は夏休み(プチ旅行+帰省)です。しばらくブログの更新が止まるかも知れませんが、その頃僕は日本のどこかでゴロゴロしています。(´∀`)

あと、記事タイトル「柏 マイ・ラブ」は、柏市出身のロックバンド・爆風スランプの名曲、「KASHIWA マイ・ラブ〜ユーミンを聞きながら〜」のことです。この曲をYouTubeで探してみたけど、妙なバージョンのしかなかった。声が初音ミクか。


(リンクが切れていたらもうないよ、お早めに)

この曲の歌詞に出てくる地名、ダブルデッキ、東口の図書館、二番街、桜並木ぬけた公園(柏公園ね)は、どれも柏市民が知っている場所だったりする。東口の図書館はほんとによく通っていましたよ。それから今画面に映っている写真(動画では2分頃から)が二番街で、その写真右側の黒いビル(梅林堂)の1Fが、前に「babyism」の表記-1に書いたエロい下着屋さんです。

柏駅前(高島屋)は今、工事中*4らしいけど、刻々と変わる都市の環境にたいして、あメールきた、もう出ないと。
ではまた。(°ー°)ゞ

*1:Sweet Dreams参照。マルクス・アウレリウス、「自省録」。

*2:思想地図 vol.1」(NHKブックス)に執筆している。

*3:それは1920年代(1929年の世界恐慌以前)に発表されたル・コルビュジエの「300万人の現代都市」(1922年)や「ユルバニスム」(1925年)と極めて相性が良い。

*4:建築家・大江匡が設計。柏駅前が二子玉川みたいになる。