スロー雷雨

天気悪いですね。

2008年08月29日 裏山が崩れ、崩落した家屋(東京都八王子市川町)

学生時代にレム・コールハースの「El Croquis」(絶版?)という本に収録されている集合住宅「ネクサスワールド」の写真が、雨天に撮られたものだったので、その本を貸してくださった先輩に、「ちゃんと晴れた日を選んで撮ればいいのに、もったいない」というような感想を僕がぼそっと言うと、「それがコールハースだよ」と先輩に答えられたということがありました。

その当時の僕には何のことかさっぱり分かりませんでしたが、この雨天の写真には、「建築作品の写真集のほとんどが晴れた日に撮られている」ということへの「批評」性が込められている、ということではないかと思います。つまり、コールハースはわざと天気の悪い日に撮影させた、もしくは、天気とは無関係に、撮影班が現地を訪れた日の様子をそのまま撮影させた、ということではないかと思えるのです。それは私たちの「リアリティ」に向かう手段の一つであるのかも知れません。

学生時代の話のついでに、そういえば、大学の授業である先生が「建築の見学に行くなら、雨の日のほうがいい」と述べられていました。何故なら、その建築の雨水・排水の処理がどのようになっているのかが目に見えてわかる(学べる)からです。*1

まあ今時、こんな地味な着実な設計教育をする大学は珍しいほうだろうけど、個人的には、大胆さよりも着実さを大切にする学風は嫌いではない、というか、その学風の影響を僕はもろに受けていて、着実な思考の積み重ねによってのみ、時代をブレークスルーするような新しい建築へ到達することができる、という大枠は僕の流儀・スタイルそのものであるといっても過言ではありません。それに今の僕が反しているとすれば、それは単に僕自身の能力の問題です。

とりあえず、歴史のうんちくを語ることで自らを歴史的存在の化身とする「大きな物語」(「公定」的)や、宇野常寛流に作品を人生(実存?)と短絡させる「小さな物語」(「草の根」的*2)のようなことのいずれも好まない、独特の学風ではなかったかなぁとは思います…というようなことを、大学生の方の「はてな」(ウェブ日記)を読んだあと、つい考えてしまいました…

うーん、できれば、もう一度大学に戻って、都市工学と都市経済学と社会学と哲学と数学と宇宙物理学を修得して…いや、それは絶対に無理(笑)。

( ゜Д゜) できるわけネーヨ。

まあとりあえず、自分にできることから進めて行こうと思います。マルセル・デュシャン*3は「解決はない、なぜなら問題がないから」という名言を残した*4らしいけど、僕の中では問題点は割とはっきりしています。人間は「無限」でも都市空間は「有限」であるからです*5。時間をみつけて、問題点を整理して、少しまとめてみようと思っています。

ではおしまいに、8月22日「ファスト新宿」の記事で、早回しの動画(YouTube)を貼りましたが、その反対のスローモーション撮影の動画を貼ります。*6

凄いです。

稲妻ってこうなっているんですねぇ、

大雨が続いてますが、皆さまのご無事を心よりお祈りいたします。

*1:薄氷の上の製氷機」参照(屋根について)。

*2:「公定」と「草の根」の対比は「思想地図 vol.1」(NHKブックス)の「共同討議」より。

*3:想像界 写真銃-1」と「想像界 写真銃-3」参照(マルセル・デュシャンについて)。その「-3」のほうに転載した、ル・コルビュジエ著「建築をめざして」の文章(飛行機の教訓は〜)のほうが、上記本文の内容に近いかも知れない。

*4:浅田彰のドタバタ日記(第3回)」より。8月9日「マンハッタン計画」参照(同日記、第2回について)。

*5:8月27日「どこでもドア」参照。

*6:「ギズモード・ジャパン」の「稲妻をスローモーション撮影(動画)」(8月11日)の動画より。