イケア

昨日書いた「ユニリーバ」の衝撃について少し考えました。
ユニリーバ」はもともと、「石鹸を使う」という習慣のないインドの貧困層の人々に「石鹸を使う」という習慣を教育することから商売を始めている。学校で子供たちに紙芝居劇(石鹸がバイキンを倒すというストーリー)を見せたり、女性の口コミのネットワークを利用したりして、「石鹸を使う」ことが疫病の予防になる(=家族の安全につながる)ということを教育するのです。

「石鹸を使う」という習慣のない人々に石鹸を売るためには、これしか方法がないからです。つまり、これは柄谷行人が何かの本か対談(浅田彰との?)で書いていた気も少しするけど、世界経済化(グローバル化)とは単に商品が売られて労働力が買われるという関係だけではないということです。間に教育が入るのです。

これについて、僕なりに詰めて考えてみたけど、「ユニリーバ」の活動を否定できる理由を見つけることはできませんでした*1。しかし日本やアメリカなどの先進国の現状(ポストモダン社会)を見ると、私企業や個々人の便益の集積とその地域社会のそれは、必ずしも同じではないから*2、少なくともある時期からは、私たちは私たちの理性によって、何らかの均整化を行う必要があるのではないかと思います。*3

うーん・・・
一夜漬けの頭ではダメかも。('・ω・`)
いずれまた書きます。
ところで、話はガラリと変わるけど、「石鹸を使う」(use soap)って、どこかで見たことあるよなぁと、帰りの電車の中で考えていたのですが、分かりました。デビッド・フィンチャー監督の映画「ファイト・クラブ」(1999年)です。
この映画のキャッチフレーズは、「危害、破壊、石鹸」(mischief, mayhem, soap)です。この「石鹸」の原材料がじつは恐ろしいのだけど、ネタバレしない程度にあらすじ貼ります。

自動車会社に勤務し、全米を飛び回りリコール調査の仕事をしている主人公は不眠症に悩まされていた。彼は自宅の高級コンドミニアムに、イケアのモダンな家具、高級ブランドの衣類、洗練された食器やインテリアなどを強迫観念に駆られるように買い揃え、雑誌に出てくるような完璧な生活空間を実現するが、精神の方は一向に落ち着かない。
(中略)そんなある日、出張中に自宅が爆発事故に遭う不幸が起こり、家もブランド品も全てを失った主人公は、出張途中の機内で知り合った石鹸の行商人・タイラーに救いの手を求めた。バーで待ち合わせたタイラーは、彼が会った事のない、カリスマとユーモアあふれる危険な男だった。タイラーはバーを出た後、駐車場で主人公にある頼みをする。「力いっぱい俺を殴ってくれ」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイト・クラブ(映画)

(映画見てない人は上のwikipediaをクリックしないように。ネタバレあり)
この映画の冒頭のイケアに関するシーンが好きですね。ここはCG合成シーンになるのだけど、1999年当時ではかなり画期的な映像だったのではないかと思います。これです。

このシーンで主人公は「What kind of dining set defines me as a person?」と語るけど、イケアのホームページには「自分らしく暮らすための部屋。」と書かれています*4宮台真司はブログのこの記事で、いい映画の判定規準は「〈世界〉は確かにそうなっている」と思えるかどうかだ、と書いています。僕はこのCG合成シーンもそうではないかと思います。でも久々にみると、それほどたいしたシーンではないかも知れない。眼がCG慣れしてるのかな。(・ω・)
おまけで、この映画のエンディングも凄いです。これです。でも映画見てない人は絶対にクリックしないように。ほんとのほんとのネタバレです(エンディングだし)。

*1:宮台真司のブログのこの記事の「再帰性(=マッチポンプ)」の概念が鍵となるのではないかとかは考えてみたけど、「石鹸を使う」がモダンなのかポストモダンなのかでこんがらかりました。僕は社会学の基礎を知らなさすぎる。

*2:これについては三浦展が「ファスト風土化する日本―郊外化とその病理」で指摘していたはず。でも、その本はやや癖があるので、とりあえず、ウィキペディアの「ウォルマート」の「反対・批判」と「経営課題」は間違っていないので、そこを軽く読んでみてください。ついでに都市工学の分野でも、その一致しない例を示す研究結果はある(都市の最適規模に関する研究など)。これはかなり下手に例えると、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」みたいなケースで、都市空間(物的世界)にはキャパシティがあるということ、自由放任主義は少なくとも都市においては通用しないということです(公共工事があるから。道路も民営化すれば自由放任主義でもうまく行くかも知れないけど、リスクが大きすぎるような気もする)。

*3:例えば食料問題。食料価格の上昇は日本の消費者には手痛いけど、インドの貧困層(の農民)にとっては生活水準の向上へつながる。だから日本の食料自給率を上げるべきだという議論もあるかも知れないけど(それは専門外なのでよく分からない)、それよりも「社会的共通資本」を整備したほうが良いと考える。その財源は「外形標準課税」。その土地・建物の所有者の所得業務粗利益に関係なく課税する。これは立地条件の良い土地・建物から多く課税する方式で、道路網の形状・分布やその都市・地域の建築物の重心位置などから税額は自動的に計算される。そもそも、公共工事(道路工事)は主に国税によって賄われているのであるから、道路建設によって利している土地・建物の所有者からより多く課税するのは理に反してない。逆に道路が少ない地域はマイナス課税(負の所得税みたいなもの)によって公共交通網を維持する。原則は受益者負担と、交通の問題は交通(の再配分)の仕組みだけによって解決すること。

*4:僕の本家のブログ「babyism」の「ブランドとは」の記事参照。