別世界性

先週の土曜(27日)の記事で、「今後は建築(論)についても考えて行」くと書いたことだし、少し都市(論)から離れて、何か建築(論)について書こうと思ったのだけど、なかなか良い取っ掛かりに出会えず、それから、本棚から何気に「ミース・ファン・デル・ローエ」(D.スペース著)*1を取り出してパラパラとめくっているうちに結局、最初から最後まで全部読んでしまいました、あらまぁ。

(・_・ヾ

ミースが語る言葉はどれも「正しい」とは思うけど、あまりにも「ゆったり」している(時代を超越している)というか、ミースの建築作品は「モダニズム」というよりも、やはりミース自身なのだと思います。また、ミースの故郷アーヘン(Aachen、ドイツ)は、1000年以上前に造られた石造の建築物が依然と建っているような街で、それは「ファスト風土」で育った僕*2とは、あまりにも違います。

ファスト風土」で育った僕は「ファスト風土」から考えるしかない考えればいいんですけどね。ただ、最近「ファスト風土」に対して肯定的に語る言論や「ファスト風土」を物語化する言論(歴史のない殺伐とした風土で育った可哀想なボク……でもたくましく生きている、人生万歳!みたいな)が増殖しつつあるようで(これは宇野常寛の影響なの?)、でも、それって「東京礼賛」や「下北沢礼賛」をお家芸にしている年配の方々と、やっていることが変わらないよ、と、反論おkで書いてみる(まあ、反論とか来ないだろうけどw)。

ミースの建築(論)については、いずれ、また改めて書きます。*3

さて今週は、建築(論)への「取っ掛かり」を探るという目的で、頭だけではなく手も動かしてみようと思って、建築のドローイングを描きました、これです。

タイトルは「SKYEY PROJECT」。

最高高さは610メートル。これはシカゴに建設中の超高層ビルの「シカゴ・スパイア」(Chicago Spire、2011年竣工)*4や墨田の「東京スカイツリー」(2011年竣工)と一緒の高さです。ドローイングが見てのとおりなので伝わりにくいですが、これは巨大建築なのです。隣に同一縮尺の「エッフェル塔」(324メートル)*5と「新宿副都心」を後から描き足しましたが、でも、ドローイングが見てのとおりなのでやはり伝わりにくいです(笑)。

合成する背景の写真を間違えたかも(笑)。

この建築の用途は複合的で、3つの超高層ビルの下層階にはオフィス、中・上層階にはホテル、コンドミニアム、そして(超高層)マンションがあります。円錐のところには劇場、競技場、会議場、公園、そしてスーパーマーケットとショッピングモールがあります。人口(夜間人口)はおおよそ5万人くらいです。

左端にちょろっと見えている白い屋根は前にbabyismのAirplane Houseで描いた「飛行機の家」*6で、今回のドローイングはその続編です。

概要はざっとこんなところですが、それよりも、建築の形態論(表現論)の可能性が今回の主題です。基本は、babyismのIntegral Project-2で書いた「建築の『水平と垂直』の弁証法」で、3つの超高層ビルは「垂直」を、円錐はニューヨーク世界博(1939年)の「針と球」*7を合成した形で、これを横に向けることで「水平」を動的に強調しています。*8

要するに、「垂直」的な形態(円錐)が「水平」に転倒しているのです。この「垂直」と「水平」がくるくるっと転回する感覚は、もしかしたら先週の9月27日「モーション・タイポグラフィ」であげたazuricsquareのこのMAD(Youtube)の影響かも知れませんが、その動画の感覚は、例えばリートフェルトの「シュレーダー邸」(1923年)にも接続できるのではないかとさえ僕は思ってます。

つまり、リートフェルトが空間の概念を書き換えたような、そんな可能性が21世紀の僕らにはあるのではないか、新しい「情報テクノロジー」がそれをすでに可能にしているのではないか、ということです。情報空間の世界では、リートフェルトを超える空間(形式)がすでに拡がっているのです。

(`・ω・´)

以上です、やや多元めいた構成*9になっているので、この説明でうまく伝わったのかどうかの不安は残りますが、この「SKYEY PROJECT」のドローイングは、新しい建築の創造へ向けた一つの取っ掛かり(出発点、小さな一歩)になる、と僕は考えます。

これからも、しばらくは(都市だけではなく)建築論について、時間を見つけては考えて行こうと思います。

ところで、話はガラっと変わって、非常に面白い建築をみつけました。フランク・ゲーリー(Frank Gehry)*10が設計した「サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン 2008」(Serpentine Gallery Pavilion 2008)です。

僕が木造好きだというのもあるかも知れないけど、どう言えばいいのか、プリミティヴな感じがあるところがいいのかも。古風で、且つ、現代的。

これです。

(追記)
ああ、画質がダメェ。(+。+)

YouTubeの画面を開いて、動画右下の「高画質で表示する」をクリックしてください。 

(追記ここまで)

このパビリオンから、「これが建築なのだ」というゲーリーの強い意志を感じます。

ついでに、「建築とは何か」について、ミース・ファン・デル・ローエはこう述べてます。

建築は空間に表現される時代の意志である。この単純な真理を明確に認識しない限り、新しい建築は気まぐれで不安定となり、当て所のない混沌から脱し得ない。建築の本質は決定的に重要な問題で、建築は全てそれが出現した時期と密接な関係があり、その時代環境の生活業務の中でのみ解明できることを理解しなければならず、例外の時代はなかった。*11

これは建築界では有名な言葉ですね。ミースの「時代の意志」を知らない人はもぐりです(笑)。それから、同じく「建築とは何か」について、レム・コールハースはこう述べてます。

人から依頼されることもなく、ただ創造者の心の中で理論的仮定の雲として最初は存在していただけの構造物を世界の上に建てる行為である。*12

それから、コールハースは上記の一文に続けて、「理論的仮定としてあるものを、否定しがたく『ソコニアル』ものへと転換させる行為は、現代建築にとって精神的外傷のような苦痛を伴う作業になっている。(中略)現代建築は別世界性というものにこだわるのである」と述べてます。

「時代の意志」と「別世界性」、僕はその両方を愛します。

*1:Material World-2Material World-4参照(ミース・ファン・デル・ローエについて)。

*2:8月13日「柏 マイ・ラブ」参照。

*3:一応、なぜ「ミース」なのかと言うと、9月25日「蘇生」Blurの「The Universal」からミースが提唱した理念の「Universal space」(ユニヴァーサル・スペース)を連想したから。別に深い意味はないです、そもそも関係もない。

*4:Material World-4参照。

*5:Natural World-4の補足参照。

*6:9月3日「抹消された「渋谷」」8月30日「スロー雷雨」8月28日「雑記2」Natural World-4Integral Project-3参照(飛行機について)。

*7:「針と球」はIntegral Project-2参照(コールハースが「錯乱のニューヨーク」で言及した)。「針と球」の実際の写真はこれとかこれとか。グーグルの画像検索は便利すぎる。

*8:「動的」な表現の例にイタリアの未来派がある。8月7日「骨」参照(未来派のボッチョーニの彫刻について)。想像界 写真銃-1Natural World-1も参照(未来派について)。

*9:整理すると、1.用途(機能)、2.仮説(モデル)、3.象徴(記号)、4.同時代性の4元を今回のドローイングでは結合させている。1.は複合施設(オフィス、マンション、スーパーマーケット等)、2.は「水平と垂直の弁証法」、3.はシンボリックな円錐、4.は情報テクノロジー、情報空間、YouTube等。

*10:フランク・ゲーリーは大学卒業後、ヴィクター・グルーエンの事務所で少し働いた(1953-54年)。Guide to Shopping参照(ヴィクター・グルーエンについて)。

*11:D.スペース著「ミース・ファン・デル・ローエ

*12:レム・コールハース著「錯乱のニューヨーク