マンハッタンのゆくえ (前)

都心の高層マンション、うーん。*1

10月19日「イオンレイクタウン-2」の末尾に書いた「イオンレイクタウン」の「ミクロ」の話について忘れずに書かないとな、と思ったけど、たまには「都市」とも「建築」とも関係のないささやかな日常の話でも書こうかな、と思ったけど、それよりも最近の「ドバイ」の奇抜な高層建築のデザインについて書いたほうが「建築」への関心をより多くの方々にもってもらえるのではないかな、 と思ったけど、それよりも最近の僕がはまっている宇宙の「スペースコロニー」には「シリンダー型」と「球型」と「トーラス型」があるということについて書こうかな、と思ったけど、前回の10月26日「イオンレイクタウン-3」で取り上げた「職住近接」についての補足説明を今日はします。

これは、10月19日「イオンレイクタウン-2」で書いた「歴史」認識の問題と多少、関係している話でもあると思います。

とりあえず、長文になりそうなので、肝心なところを先に書いて、後日、また付け足します。

....〆(・ω・。) メモメモ。

では始めます。巷では(とくに建築の世界では)「職住近接」型の都市の良い事例として、よく「ニューヨーク」*2の名前が挙げられます。例えば、カタカタ……あれ?目当ての(「森ビル」の)ページが見つからない(号泣)。代わりに、少し古めの記事だけど、これ(下記)かな。

東京再生はなるか−六本木ヒルズ・森ビルの挑戦(2001年)

東京は過去、様々な都市を模倣してきた。江戸時代では、大阪を意識し、明治・大正時代はパリを、第2次大戦後はロンドンを模倣してきた。そして今、森稔社長*3はマンハッタンを模倣し、六本木ヒルズ計画を進めている。

一応、マンハッタンはニューヨーク市の区の一つです。この記事には「六本木ヒルズは、ハード面からの『職住近接』を実現する」とも書かれてます。でも、8月27日「どこでもドア」の注釈3に貼った「Mixed-use development」のウィキペディアには、マンハッタンは非典型的(atypical case)であると書かれてます。

では問題です、ニューヨークはなぜ「職住近接」型の都市になったのか、これを(興味がある方は)ちょっと考えてみてください。これは、10月19日「イオンレイクタウン-2」で書いた「歴史」認識の問題と関係しているような気がします。なぜなら、都市計画学では、おそらく誰でも答えることができるからです。都市計画学の「ある有名な本」にその答えが書かれてます。

その一方、建築学で有名なニューヨークの本と言えば今はあれですね、レム・コールハース「錯乱のニューヨーク」です*4。大雑把に言えば、都市計画学と建築学では、読む本が違うということです。

(一応、「錯乱のニューヨーク」はフィクションの物語です。建築学生の方々のブログをチラ見すると、その辺りのリアルとフィクションの区別がないような気がしなくもない。でも、突き詰めれば、正しい歴史なんてものはないとも言えるから、まあ、別にそれで構わないかも)

あと、この記事は、10月26日「イオンレイクタウン-3」で書いた、都市(都市圏)の捉え方の違い、「スタティック」と「ダイナミック」の違いの話にも接続できるでしょう。これは、babyismのIntegral Project-1で書いた「一重」と「二重」の違いの話でもあるけど、上記のような「マンハッタンを模倣」するという姿勢は、マンハッタンを「スタティック」に、「一重」的に捉えるような姿勢ではないかと僕には思えます。

以上です、

では問題の答え。都市計画学の「ある有名な本」は、クラレンス・ペリーの「近隣住区論」です。そしてマンハッタンが非典型的な「職住近接」型の都市になった理由の記述はこの辺り(下記)です。*5

シカゴ市*6ニューヨーク市の成長の現象に顕著な類似性があることを示すのに、いろいろな他の性格も引き合いに出される。両者の根本的な類似点は進行していく過程を理解しやすくしてくれるので、われわれにとって重要な意味がある。それらは、また重要なきわだった相違を浮き彫りにしている。イリノイ大都市圏では、居住地区の発展方向は、中央から外の方へ向いている。ニューヨークでも同じ方向を示していたし、現在(引用者注・現在とは1920年代のこと)も示しているが、同時に富裕な人は相反する方向、つまり中央へ向かって彼らの住居を移す顕著な傾向がある。

上流階級の居住地の発展方向が、内に向かう傾向にある理由は、ニューヨークに特有のものである。それらは、水に囲まれたところに住んでいる人々に作用している二つの新しい現象、すなわち自動車と摩天楼が指摘されるであろう。ニューヨークの街路システムは、もちろん、自動車と摩天楼が現れる以前につくられたものである。自動車は主要道路を通って動く人の数を大幅に増やし、摩天楼は、それらを使用する人々をおびただしく増加してきている。公共の輸送システムは道路上や高架や、地下に設置されてきたが、それらは、増加する交通量に追いつけなくなってしまった。実際、地下鉄は、そのルートに沿って高層建築物の建設を促進してきた。そして、このようにつくられた新しい目的地が、次に地下鉄を窮地に陥れることになり、原因と結果の悪循環が起こる。

マンハッタンの街路を通って移動する際に、経験する不快さや不便さが増加することによって、市民たちを職場の近くに住めるようにするという近代的都市計画の根本的な目標の一つが、新しく強調されるようになった。現在、ウォール街の銀行家、あるいは株式仲買人にとって、家がマンハッタンの中にある場合、事務所へ通う方法は、退屈な、時間を無駄にする自動車によるか、より一層不快な混んだ地下鉄を利用する以外には全くない。彼は職場の近くに住む方法をかつてなかったほど必要としている。

この必要性は、明らかに、高級な不動産開発に新しい方向を与えはじめた。

「近隣住区論―新しいコミュニティ計画のために」クラレンス・ペリー、1929年)

要するにこれは、マンハッタンの「職住近接」は消極的な理由によって生成したということです。または、babyismのIntegral Project-3の4で、道路渋滞の都市モデル化は諦めたと書いてしまいましたが、このような交通渋滞が、マンハッタンの「職住近接」化において、重要な役割を果たしていたということです。これは、コールハースがマンハッタンの「過密」は無意識と欲望によって生まれたとした見方とは正反対なのかも知れません。

(繰り返すけど、もちろん、これはどちらが正しいかという問題ではないです。むしろ、「歴史」認識が複数あるということを見晴らせる視座の獲得へ向けて、解放したほうが良いと僕は思ってます)

でも今日はここまで。

σ(・ω・*) 強制終了。

次回は、上記の「原因と結果の悪循環」から書く予定です。ちなみに、この「はてな」日記のタイトルの「用心シロ!…」はこの意味です。*7

他には、「職住近接」型の都市と僕の都市理論との関係や、都市の未来や僕たちの理想や希望とか、まだ未整理ではあるけど、その辺の話まで、派手に広げられたら、と思ってます。うーん。

一体どんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようもないその問いかけは
日常に葬られてく

Mr.Children、HANABI)

(リンクが切れていたらここ

*1:独立型キッチンMaterial World-5For Tomorrow10月26日「イオンレイクタウン-3」参照(都心の高層マンションについて)。

*2:Flamboyant(ニューヨークの歴史)とIntegral Project-3参照(この記事にニューヨーク関連のリンクを貼ってある)。

*3:Material World-2参照。

*4:8月30日「スロー雷雨」9月3日「抹消された『渋谷』」10月2日「別世界性」参照(コールハースについて)。

*5:Natural World-2Airplane House参照(「近隣住区論」について)。クラレンス・ペリーは「近隣住区論」のアイデアを郊外の住宅地だけではなく、マンハッタンに適用する方法も提案している。

*6:Material World-2TRANSPARENCY参照(シカゴについて)。

*7:8月2日「アウトレットモール」参照。