エソラ

師走のせいなのか、慌しくなってまいりました。まあ、仕事が慌しいというより、無駄な飲み会が増えたというような感じかな…むしろ、僕から誘っている(笑)。

うーん。とある会合で、国のほにゃららーという機関から助成を受けて、都市計画の研究をしているという方とお話しする機会がありました。

僕はもうずっと民間の仕事*1ばかりしているので、興味津々だったのですが、まあ、いろんな意味で勉強にはなりましたよ。

まあ、何ていうかなぁ、その方はヨーロッパ製のソファーがよく似合うと思いました。それに対して、僕の都市理論なんて路上のガードレールに腰掛けているようなもの*2。その「落差」は、都市計画の専門家が語る絵空事(絵巻物)と、僕のこのブログ(日記)とbabyismのエソラ事との違いを見れば、一目瞭然であったのかも知れませんが、僕はこの国の「公共性」などについてはもうこれ以上、考えなくて良いのだと知りました。いろんな意味で。

うーん。けれど、ずっと礼儀正しく接していた自分自身に腹が立ってきたな(怒)。でも、匿名のブログで八つ当たりする自分もカッコ悪い。その日の出来事はさっぱり忘れるのが正解。削除。

(。・ω・)σ ⌒*3 ぽい。

まあ、この国の「公共性」について考えるならば、「経済性」をフックにしなければならない、とは思いました。*4

「君は愛よりカネなのか?」とか言われると、返す言葉には困りますが、これには、「愛」を語る人間のほうがじつは「カネ」目当てだったというドンデン返しだってあるでしょう、と言うしかない。

「愛」と「愛を語る」は別物です。*5

(少し酔ってるw)

では、今回の本題…の前に、前回の12月1日「雑記4」の補足で、流通・小売業界では、「小型化」と「巨大化」の「二極化」が進行していると書きましたが、もっとも先鋭的なのは、そのどちらでもなくて「専門化」です。いわゆる「カテゴリーキラー」です。その辺の話を10月26日「イオンレイクタウン-3」の次ぐらいに書く予定だったのですが、忘れてた(泣)。いずれまた書きます。

とりあえず、例えば、2006年にオープンした「アーバンドック ららぽーと豊洲」は、「カテゴリーキラー」の集積によるショッピングモールとして(業界で)知られてます。つまり、ここには「核店舗」*6がないのです。10月13日「イオンレイクタウン」の記事で、「『2核1モール』型から脱却して(中略)着々と進化している」と書きましたが、これもその兆候の一つです。同様の変化は、アメリカでも見られます。

そして、同じくその12月1日「雑記4」では、都市理論を「図」を使って説明をしましたが、この方法は割と良かったのではないかと思いました。よって、同様にbabyismのIntegral Project-3の5で書いた「トランジットシティ」も、図を使って説明をしたほうが良いと思って*7、(簡単にですが)作図してみました。まず、「鉄道的リアリズム」の空間の中心(駅前、中心市街地)と、「自動車的リアリズム」の空間の中心(バイパスや幹線道路沿い等に密集するロードサイド店)が、「都市交通の様々な要因によって、2中心がズレてしまう」過程の図です(下図)。



うーん。それほど分かりやすくはないかも(笑)(泣)。

とりあえず、この図(上図)は、ロードサイド店が並び建つ景色(「ファスト風土」)を、美醜の問題(景観問題)から論じる(建築史家の五十嵐太郎的な)アプローチでもなく、犯罪や社会問題から論じる(社会学者の三浦展宮台真司的な)アプローチでもなく、単純に、「ファスト風土」が発生・生成するという都市の現象を、理論(仮説)から考えるというアプローチの一つです。*8

また、この図(上図)は、「鉄道的リアリズム」と「自動車的リアリズム」の空間の「2中心がズレる」というより、「交通渋滞」対策の土木工事(公共工事)によって、都市の中心位置が変わってしまう、というラディカルなシナリオ(仮説)でもあります。つまり、「自動車的リアリズム」の空間が優位となる時代においては、中心市街地はもはや中心には位置していない、ということです。よって、これを例えば、「コンパクトシティ」誘導政策によって、中心位置を元に戻そうというのは、かなり無謀なのではないかと、僕にはどうしても思えます。*9

そこで、「コンパクトシティ」の代案として、babyismのIntegral Project-3で書いた「トランジットシティ」の登場です。「ファスト風土」が生じた原因が都市の交通問題にあるならば、交通の流れを整える(変える、利用する)ことによって、中心市街地を再活性化させるほうが(過剰に法規制するよりも)自然ではないか、と思います。*10

ところで、「コンパクトシティ」を推す建築家は結構、多かったりするのですが、とある建築家の最近のウェブ日記を読んで、驚いた。「時代錯誤的な建築家は僕の周りにも沢山いる。使命感を持って都市計画的問題に取り組んでいる建築家ほど手に負えないものはない」のだそうです。でも、この方も、かなり最近まで「コンパクトシティ」を掲げていたような記憶はある。うーん。具体的に何を指されているのかが分からないので、深くは言えませんが、もしかしたら、「公共性」が喪失したと言われる「ゼロ年代*11以降の、これからの新しい時代を生きる術を、ご鞭撻されているのかも知れません。

僕は、「都市」(都市計画を含む)こそが、21世紀における「公共性」の獲得へ向けた唯一の希望*12だと思ってますが、その可否について、今一度、まとめてみようと思います。

とりあえず、都市理論の話は一旦、ここで保留します。以上です。

ではでは。

(。・ω・)ノシノシ

あー、あとそれから、前回の12月1日「雑記4」で、Mr.Childrenのニューアルバム「SUPERMARKET FANTASY」のタイトルは、日常的な「スーパーマーケット」の中に非日常的な(後略)と書きましたが、これは間違いでした(泣)。Mr.Childrenの新曲「エソラ」(下に貼ったYouTube)を見て、間違いに気付きました。訂正。

(リンクが切れていたらここ

では、今日はこの辺で。クリスマスの前に、もう一記事くらいは書くだろうと思いますが、一応、メリークリスマス!!と先に書いておきます(笑)。

・ω・)ノシ

*1:プロフィール参照。

*2:8月13日「柏 マイ・ラブ」参照(僕の都市理論について)。

*3:8月20日「柏の葉から考える」参照(公共性について)。

*4:Natural World-4の補足の6参照(経済とハワード、ル・コルビュジエ)。

*5:Computer City参照(愛について)。

*6:Guide to Shopping参照(核店舗について)。

*7:表記-2参照(「明晰かつ判明」を指標とする、ルネ・デカルト)。

*8:もちろん、ロードサイド店の側からの「立地論」的なアプローチもある。沖縄参照(ジャスコとハフモデルの数式)。

*9:Coffee & TVIntegral Project-3参照(コンパクトシティについて)。一応、僕は「コンパクトシティ」誘導政策には否定的ですが(基本的に僕は、これは新しい「ハコモノ行政」だと考えている。とくに青森市がひどい)、ただ、この政策による効果は30年後、半世紀後にやっと現れるようなものなので、そういった長期的なビジョンであるという点においては否定しない。ただ、あまりにも長期的過ぎるような気がしなくもない。

*10:8月5日「イケア」の注釈3参照(cf. 交通の問題は交通の仕組みによって解決する)。

*11:宇野常寛著「ゼロ年代の想像力」。「ゼロ年代」とは、(90年代的な)個人を包み込む大きな何か(物語、理想、セカイ)を否定して、小さな何か(私性、身の丈)を基点として、自分の周りからのしなやかな連携の拡大を目指す、という自意識のパラダイムシフトのこと(たぶん)。もちろん、2000年から2009年までの10年間のことでもある。

*12:11月2日「マンハッタンのゆくえ(前)」参照(Mr.ChildrenHANABI」の歌詞、理想や希望について)。