イオンレイクタウン

うーん。

国内最大級ショッピングセンター 越谷にオープン
産経新聞、2008年10月2日)

イオンは2日、国内のショッピングセンターで最大級の売り場面積を持つ「イオンレイクタウン」を埼玉県越谷市にオープンした。店舗数は566店で、開店と同時に大勢の人でにぎわった。ショッピングや食事のほか、映画やアミューズメント施設など消費者のあらゆるニーズに応える街のような施設とし、低迷する個人消費を喚起する。
イオンレイクタウンは施設面積が約22万平方メートル。施設の端から端までの距離は約1キロに及ぶ。開発費は約850億円に達する。
同日の記者会見で、イオンの岡田元也社長は「用地確保の問題はあるが、同規模の施設をほかにも出店したい」と述べた。

大きいよ。

「イオンレイクタウン」のウィキペディアこの写真を等倍で(「高解像度での画像」で)見ようとすると、案の定、横スクロールしないと見れません。

(´・д・`) こ、これは見づらい。

これがbabyismのIntegral Project-2で書いた「低層で水平に広い建築」の正体(映像)です、この建築物とPCモニター(画面)のプロポーション(縦横比、横長比)の違いをつくづく実感させられます*1。でも、歴史を紐解いてみれば、この「低層で水平に広い建築」が、新しい建築論(芸術論)の始まりの合図である、という可能性もあり得ます。*2

(これとは逆の「垂直」の建築(超高層建築)では、「アイコン」*3に関する分析が、建築論へ接続可能なのではないかなぁと思ってます)

それから、「イオンレイクタウン」についての別の視点のニュース(下記)。

イオン 専門店565、最大級SCオープン 「環境」全面に巻き返し
(フジサンケイ ビジネスアイ、2008年10月3日)

(前略)東京駅まで60分弱でアクセスできるJR武蔵野線「越谷レイクタウン駅」に隣接する足回りの良さを生かし、郊外型店と駅前店の利点を兼ね備えている。

(中略)一方、周辺の競争は激化する一方だ。大規模複合施設「新三郷ららシティ」家具専門店「イケア」*4が11月に開業するのを皮切りに、会員制倉庫型店舗「コストコ」、複合型大型ショッピングセンター「ららぽーと」と大型店の開店ラッシュが控え、業態を超えた競争が激化しそうだ。
岡田社長は「勝ち抜くには、常に消費者へ新しい提案が必要で、エコも重要なキーワードのひとつ」*5と新しいライフスタイルを提唱することで消費者へのアピールを高め、差別化を図りたい考えだ。

しかし、イオンを取り巻く経営環境は、次なる大型SCを視野にいれるほど楽観はできないのが実情だ。(中略)衣料専門店や家電量販店の台頭で、グループの稼ぎ頭だった総合スーパー(GMS)の利益率低下に歯止めがかからない中で、米国発金融不安で消費者の節約志向にもさらに拍車がかかる、逆風の中での厳しい船出となった。(後略)

とりあえず、越谷の「イオンレイクタウン」も「新三郷ららシティ」も、JR武蔵野線の駅前に立地しているところが重要なのかな。

これは、2006年にJR川崎駅の駅前にオープンした「ラゾーナ川崎プラザ*6やTX柏の葉キャンパス駅の駅前にオープンした「ららぽーと柏の葉*7と、同じ方法です。これはどういうことなのか…は(興味がある方は)ぜひ考えてみてください(笑)。その一方で駅前の百貨店や商店街は衰退しているのですけどね、不思議な(都市の)現象です。

ちなみに、前にbabyismのブログのKinkyo-2で、「ラゾーナ川崎」が川崎駅に直結していながら2000台の駐車場があることも、新しい兆候である!とか書いたけど、「イオンレイクタウン」の駐車場台数は8200台です。(「ららぽーと柏の葉」は3600台)

それから、イオンの計算によると、「イオンレイクタウン」の商圏人口(車30分圏)は約330万人とのことです。首都圏(東京都市圏)の人口は約3300万人なので、首都圏の約1割の人が車で30分以内に訪れることができる*8、ということになります。

これは8月27日「どこでもドア」で書いた(都市)空間の「どこでもドア」化、なのかも知れません。更にひょっとしたら、babyismのFor Tomorrowで書いた「アシキタス的リアリズム」が現実味を帯びてきているということなのかも知れません。とりあえず、そんな具合にいろいろと考えられるのではないかなぁと思います。

もちろん、babyismのIntegral Project-2で書いたような、百貨店とショッピングモールの建築形態の違い、すなわち、「箱形の建築」と「低層で水平に広い建築」の違い、これも重要です。

(。・ω・) ふーん。

あと、9月27日「モーション・タイポグラフィ」で、(ショッピングモールの)「2核1モール」は完璧でもない、と書いたけど、「イオンレイクタウン」は既に、「2核1モール」型から脱却しています。babyismのGuide to Shoppingで、日本のショッピングモールの形態の歴史(トランスフォーメーション)を図解したけれど、そこから更に、着々と進化しているのです。

ショッピングモールが進化する理由のヒントは上記のニュースに書かれています。9月27日「モーション・タイポグラフィ」で貼った読売新聞の「三越が池袋などの4店舗閉鎖へ」(2008年9月25日)のニュースも関係しています。つまり、どういうことなのか…は、興味がある方は考えてみてください。ついでに、これは日本だけで起きているという特殊な現象でもありません。

以上です、「イオンレイクタウン」については、また書きます。

とりあえず、実際に見に行ってこようかなぁとは思ったけど、この動画(下に貼ったYouTube)を見て、この建築物のスケールの大きさに今おののいているところです(笑)。セグウェイに乗りたい。♪

(リンクが切れていたらもうない、他の動画はここ

(追記)
越谷レイクタウン」の全容はここ。計画人口は約22,400人、2013年に完成の予定。

*1:PCモニター(画面)の比率は4:3。16:9もある。

*2:例えば、有名な「形態は機能に従う」form follows function)という言葉は、ルイス・サリヴァン「The Tall Office Building Artistically Considered」(1896年)で初めて使われたが、これは史上、前例がなかった「高層オフィスビル」への芸術論であった。TRANSPARENCY参照。

*3:9月27日「モーション・タイポグラフィ」参照(「アイコン」について)。ちなみに、今月の「中央公論」の特集で、建築家の磯崎新は(「ドバイは国全部がゴミの山みたいなもんですよ」で)「アイコン」について言及している。少し引用すると、「僕の言うアイコンとは(中略)キャラの大型のものかもしれません。キャラってのは、一人でつくっていないわけですよ。とりわけアニメの場合。まあこれは又聞きですが、何かインターネットに出ると(中略)無名の人間の書き込みの集合がですね、一番最初のオリジナルを(中略)変えてしまうわけ。で、僕は昔は「作者を消せ」と言ったけど、今は作者はもうとっくに消えていて、いない。そのかわり、無数の無名の作者のアクセスがある。その中でオートマティックにセレクションがされている」。

*4:8月5日「イケア」参照。

*5:8月11日「100年後」参照。

*6:Integral Project-2参照。

*7:8月20日「柏の葉から考える」参照。

*8:Integral Project-3参照(レム・コールハースの「…彼らの計算によればその空港は、人類の七割が二時間のフライトで来られるというんだな」とやや重なる)。

別世界性

先週の土曜(27日)の記事で、「今後は建築(論)についても考えて行」くと書いたことだし、少し都市(論)から離れて、何か建築(論)について書こうと思ったのだけど、なかなか良い取っ掛かりに出会えず、それから、本棚から何気に「ミース・ファン・デル・ローエ」(D.スペース著)*1を取り出してパラパラとめくっているうちに結局、最初から最後まで全部読んでしまいました、あらまぁ。

(・_・ヾ

ミースが語る言葉はどれも「正しい」とは思うけど、あまりにも「ゆったり」している(時代を超越している)というか、ミースの建築作品は「モダニズム」というよりも、やはりミース自身なのだと思います。また、ミースの故郷アーヘン(Aachen、ドイツ)は、1000年以上前に造られた石造の建築物が依然と建っているような街で、それは「ファスト風土」で育った僕*2とは、あまりにも違います。

ファスト風土」で育った僕は「ファスト風土」から考えるしかない考えればいいんですけどね。ただ、最近「ファスト風土」に対して肯定的に語る言論や「ファスト風土」を物語化する言論(歴史のない殺伐とした風土で育った可哀想なボク……でもたくましく生きている、人生万歳!みたいな)が増殖しつつあるようで(これは宇野常寛の影響なの?)、でも、それって「東京礼賛」や「下北沢礼賛」をお家芸にしている年配の方々と、やっていることが変わらないよ、と、反論おkで書いてみる(まあ、反論とか来ないだろうけどw)。

ミースの建築(論)については、いずれ、また改めて書きます。*3

さて今週は、建築(論)への「取っ掛かり」を探るという目的で、頭だけではなく手も動かしてみようと思って、建築のドローイングを描きました、これです。

タイトルは「SKYEY PROJECT」。

最高高さは610メートル。これはシカゴに建設中の超高層ビルの「シカゴ・スパイア」(Chicago Spire、2011年竣工)*4や墨田の「東京スカイツリー」(2011年竣工)と一緒の高さです。ドローイングが見てのとおりなので伝わりにくいですが、これは巨大建築なのです。隣に同一縮尺の「エッフェル塔」(324メートル)*5と「新宿副都心」を後から描き足しましたが、でも、ドローイングが見てのとおりなのでやはり伝わりにくいです(笑)。

合成する背景の写真を間違えたかも(笑)。

この建築の用途は複合的で、3つの超高層ビルの下層階にはオフィス、中・上層階にはホテル、コンドミニアム、そして(超高層)マンションがあります。円錐のところには劇場、競技場、会議場、公園、そしてスーパーマーケットとショッピングモールがあります。人口(夜間人口)はおおよそ5万人くらいです。

左端にちょろっと見えている白い屋根は前にbabyismのAirplane Houseで描いた「飛行機の家」*6で、今回のドローイングはその続編です。

概要はざっとこんなところですが、それよりも、建築の形態論(表現論)の可能性が今回の主題です。基本は、babyismのIntegral Project-2で書いた「建築の『水平と垂直』の弁証法」で、3つの超高層ビルは「垂直」を、円錐はニューヨーク世界博(1939年)の「針と球」*7を合成した形で、これを横に向けることで「水平」を動的に強調しています。*8

要するに、「垂直」的な形態(円錐)が「水平」に転倒しているのです。この「垂直」と「水平」がくるくるっと転回する感覚は、もしかしたら先週の9月27日「モーション・タイポグラフィ」であげたazuricsquareのこのMAD(Youtube)の影響かも知れませんが、その動画の感覚は、例えばリートフェルトの「シュレーダー邸」(1923年)にも接続できるのではないかとさえ僕は思ってます。

つまり、リートフェルトが空間の概念を書き換えたような、そんな可能性が21世紀の僕らにはあるのではないか、新しい「情報テクノロジー」がそれをすでに可能にしているのではないか、ということです。情報空間の世界では、リートフェルトを超える空間(形式)がすでに拡がっているのです。

(`・ω・´)

以上です、やや多元めいた構成*9になっているので、この説明でうまく伝わったのかどうかの不安は残りますが、この「SKYEY PROJECT」のドローイングは、新しい建築の創造へ向けた一つの取っ掛かり(出発点、小さな一歩)になる、と僕は考えます。

これからも、しばらくは(都市だけではなく)建築論について、時間を見つけては考えて行こうと思います。

ところで、話はガラっと変わって、非常に面白い建築をみつけました。フランク・ゲーリー(Frank Gehry)*10が設計した「サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン 2008」(Serpentine Gallery Pavilion 2008)です。

僕が木造好きだというのもあるかも知れないけど、どう言えばいいのか、プリミティヴな感じがあるところがいいのかも。古風で、且つ、現代的。

これです。

(追記)
ああ、画質がダメェ。(+。+)

YouTubeの画面を開いて、動画右下の「高画質で表示する」をクリックしてください。 

(追記ここまで)

このパビリオンから、「これが建築なのだ」というゲーリーの強い意志を感じます。

ついでに、「建築とは何か」について、ミース・ファン・デル・ローエはこう述べてます。

建築は空間に表現される時代の意志である。この単純な真理を明確に認識しない限り、新しい建築は気まぐれで不安定となり、当て所のない混沌から脱し得ない。建築の本質は決定的に重要な問題で、建築は全てそれが出現した時期と密接な関係があり、その時代環境の生活業務の中でのみ解明できることを理解しなければならず、例外の時代はなかった。*11

これは建築界では有名な言葉ですね。ミースの「時代の意志」を知らない人はもぐりです(笑)。それから、同じく「建築とは何か」について、レム・コールハースはこう述べてます。

人から依頼されることもなく、ただ創造者の心の中で理論的仮定の雲として最初は存在していただけの構造物を世界の上に建てる行為である。*12

それから、コールハースは上記の一文に続けて、「理論的仮定としてあるものを、否定しがたく『ソコニアル』ものへと転換させる行為は、現代建築にとって精神的外傷のような苦痛を伴う作業になっている。(中略)現代建築は別世界性というものにこだわるのである」と述べてます。

「時代の意志」と「別世界性」、僕はその両方を愛します。

*1:Material World-2Material World-4参照(ミース・ファン・デル・ローエについて)。

*2:8月13日「柏 マイ・ラブ」参照。

*3:一応、なぜ「ミース」なのかと言うと、9月25日「蘇生」Blurの「The Universal」からミースが提唱した理念の「Universal space」(ユニヴァーサル・スペース)を連想したから。別に深い意味はないです、そもそも関係もない。

*4:Material World-4参照。

*5:Natural World-4の補足参照。

*6:9月3日「抹消された「渋谷」」8月30日「スロー雷雨」8月28日「雑記2」Natural World-4Integral Project-3参照(飛行機について)。

*7:「針と球」はIntegral Project-2参照(コールハースが「錯乱のニューヨーク」で言及した)。「針と球」の実際の写真はこれとかこれとか。グーグルの画像検索は便利すぎる。

*8:「動的」な表現の例にイタリアの未来派がある。8月7日「骨」参照(未来派のボッチョーニの彫刻について)。想像界 写真銃-1Natural World-1も参照(未来派について)。

*9:整理すると、1.用途(機能)、2.仮説(モデル)、3.象徴(記号)、4.同時代性の4元を今回のドローイングでは結合させている。1.は複合施設(オフィス、マンション、スーパーマーケット等)、2.は「水平と垂直の弁証法」、3.はシンボリックな円錐、4.は情報テクノロジー、情報空間、YouTube等。

*10:フランク・ゲーリーは大学卒業後、ヴィクター・グルーエンの事務所で少し働いた(1953-54年)。Guide to Shopping参照(ヴィクター・グルーエンについて)。

*11:D.スペース著「ミース・ファン・デル・ローエ

*12:レム・コールハース著「錯乱のニューヨーク

モーション・タイポグラフィ

三越が池袋などの4店舗閉鎖へ、国内直営店で初
(読売新聞、2008年9月25日)

大手百貨店の三越伊勢丹を傘下に持つ三越伊勢丹ホールディングスは24日、東京都内の「池袋三越」「武蔵村山三越」の2店舗と、「名取三越」(宮城県名取市)、「鹿児島三越」(鹿児島市)の計4店舗を閉鎖する方針を固めた。(中略)三越伊勢丹ホールディングスが今年4月に発足して以来、国内直営店の閉鎖は初めてだ。池袋三越については、今年6月の東京メトロ副都心線の開業で、同じ沿線の伊勢丹新宿本店と商圏が重複すると判断した模様だ。鹿児島三越は建物の老朽化が進んでいた。

武蔵村山店は06年、名取店は07年に、郊外型ショッピングセンターの中核テナントとして出店したばかりだが、いずれも業績が振るわない。今春には伊勢丹が地場百貨店と合弁で運営していた小倉伊勢丹北九州市)から資本を引き揚げ、事業撤退した。また、2009年にかけてドイツの三越系3店舗と、中国の伊勢丹系1店舗を閉鎖する方針を明らかにしている。

これは、babyismのブログで書いた「ダイヤモンドシティ」のことですね。*1
おととい(25日)は、本当はこのニュースについてを書こうとして「はてな」(ウェブ日記)にログインしたのだということを、今思い出しました。

(。・x・)ゝ

このニュースについては、「1階の惣菜売り場しかお客さん入ってないよ、(武蔵村山の)三越ガラガラだよ」と彼女から聞いていたので、それほどの驚きはなかったです。でも、この(武蔵村山三越が入っている)「ダイヤモンドシティ」は、いわゆる「2核1モール」型のショッピングモールなのですが、両端の核店舗がしっかり集客してくれないことには商業建築の形態も構成もほとんど意味がない、ということは改めて実感しました。

まあ、「2核1モール」にも問題点*2はあるのだけど。

とりあえず、おとといの書き忘れは以上です。今日は久しぶりにのんびりとした午後を過ごしました。

と言っても、YouTube三昧(笑)。

「モーション・タイポグラフィ」(Motion Typography)と呼ばれる動画をみつけました。とても(僕には)新鮮でした。この表現方法についての分かりやすい動画(MAD)はこの辺か。

http://jp.youtube.com/watch?v=xBFG6_l-AZE
http://jp.youtube.com/watch?v=YyZ3g4phWpw
(投稿者:azuricsquare

可読性と可視性*3の間を行く、面白い表現方法だと思います。その動画での「モーション」の全てが、形式(操作)に分節できるところ(シンプルさ)が良いのではないかなと思います。

そして、かなり作り込んである作品がこの辺。とりあえず、三者三様の動画*4を選んでみる。

http://jp.youtube.com/watch?v=y9LlnLTH87U
http://jp.youtube.com/watch?v=TOgVRZZXQPY
http://jp.youtube.com/watch?v=PsrcVV7nsb8

うーん。これらの動画から、「アイコン」*5と建築の関連について考えてみたいところです。でも、考える前に先にこの記事(ウェブ日記)を書き上げる。*6

とりあえず、ネットで検索してみると、「アイコン」について、「新潮(2005年4月号)」で建築家の磯崎新が言及している(「アイコンの世紀へ」)とか、社会学者の宮台真司過去にブログで言及している(2005年)とか、浅田彰のドタバタ日記(第3回)によると「思想地図 vol.1」の黒瀬陽平の論文(キャラクター論)が関係しているとか、洪水のように出てきます。

こんなにたくさんの人が言及しているのであれば、…僕は別に考えなくてもいいかも(笑)。

( ゜Д゜) おい、あまのじゃく男!

いずれにせよ、こういう動画と建築(動かないもの)を単純比較してしまうと、建築がまるで骨董品のように見えてきたり、ん?、よく考えたら、僕はブログでほとんど(建築ではなく)都市についてしか書いていなかったことに今気付きました。

babyismのIntegral Project-2で建築の「水平と垂直」の弁証法について書いたくらいかな。今後は建築(論)についても考えて行こうと思います。根本的に僕は、建築は「暗黙知」だと思っているので、このままでは何も書けませんが。でも、建築への「愛」*7や「ロマン」を語る自分を想像すると、吐き気がする(笑)。

あと、おしまいに、「モーション・タイポグラフィ」とケミカル・ブラザーズ「Star Guitar」のPVミシェル・ゴンドリーの作品*8)を合体させたみたいな面白い動画もあったので、これも貼っておきます。

i-dep(アイ・デップ) - believe
http://jp.youtube.com/watch?v=4cT5w2O6Eqg

(追記)

ニコニコ動画」が貼れるかどうかテスト。

D

(リンクが切れていたらここ

貼れたみたいです。YouTubeより画質がきれいなので。右から左に流れている文字は画面右下(音量の右隣)をクリックすると消えます。これも「モーション・タイポグラフィ」ではあるけどね。

*1:Kinkyo-2Guide to Shopping参照。「ダイヤモンドシティ・ミュー」は「イオンモールむさし村山ミュー」に名称変更された。

*2:例えば、2核(両端の核店舗)の距離が離れすぎている、といった形態上の欠点がある。いずれにせよ、「2核1モール」は完璧でもない。

*3:リーダビリティ(readability)とレジビリティ(legibility)。

*4:どれも面白い動画ではあるけど、最初の1分で飽きるかも。

*5:グローバリゼーション-3Minimal参照(アイコンについて)。

*6:Integral Project-3参照(C.ジェンクス著「Iconic Building」関連)。

*7:Computer City参照(愛について)。

*8:Strange ParadiseIntegral Project-3参照(ミシェル・ゴンドリーについて)。

蘇生

僕の本家のブログ「babyism」の、放置プレイ中の、Integral Project-4の記事を書こうとグラフ等の作図はしたけど、内容が長すぎるせいなのか、なかなか本文を書く気が起こらない。

Integral Project-3の次回予告で書いた10の「都心流入率」が結構、重要なのですよ、じつは。とりあえず、Computer Cityの記事で「近代化以降の都市の職住分離は必然的」で「分離したほうが効率がいい」と書きましたけど、では都心流入率(郊外から都心へ通勤する人の割合)は、高い場合と低い場合のどちらが効率的なのか?と出題しておきます。

ヒントは、職住(職業地域と住居地域)は分離したほうが効率的である、ということです。都心流入率が高いほうが職住は分離した状態です、もう分かりますよね。答えは、都心流入率は低いほうが効率がいいです。

Σ(・ω・ノ)ノ

矛盾してそうですが、実際に「計算する」とそうなるのだからしょうがない(この計算結果についてはとりあえず、僕を信用して欲しい)。これは僕にとって、まさかの大ドンデン返しだったのです。そして、その都市構造の大転換が、じつは近代(モダニズム)から現代(ポストモダニズム)への転換ではないか、と僕は考えています。つまり、「ポストモダニズムは効率がいい」、「ポストモダンの都市は効率性の原理に支配されている」ということです。

これはどういうことなのか、という話をきちんと書きたいところなのだけど、僕の語学力の足らなさもあって、なかなかうまく(分かりやすく)書ける自信は沸きません。

グラフにすると、こんな図ですけど、

でも、これ見て「面白い」という人は多分いないだろうと思います(笑)。

これは「職住が分離していたほうが効率がいい」と「都心流入率が低いほうが効率がいい」の関係を同時に表している図です。変数が2つある場合のグラフの読み方は、それに慣れてない人には少し難しいかも知れないけど、この計算から、ポストモダンのどこか矛盾を孕んだ性質を、きれいに読み解くことは可能です…

まあ、僕らはその先の「未来」を描くべきなのだけどね。

アジアの極東で
僕がかけられていた魔法は
誰かが見破ってしまった
トリックに解け出した


君は誰だ?そして僕は何処?
誰も知らない景色を探す
旅へ出ようか


Mr.Children、蘇生)

(リンクが切れていたらここ

一方、現在の日本の言論や批評はまるでこんな島宇宙です。馬鹿馬鹿しいというか、くだらないというか。まあ、「豚に真珠を投げてはならない」という言葉(マタイによる福音書)にならって、僕は(ネット内では)沈黙していたほうがいいのかも知れません、well, just let them go。

Every night we're gone
And to karaoke songs
How we like to sing a long
Although the words are wrong


Every paper that you read
Says tomorrow is your lucky day
Well, here's your lucky day


(Blur - The Universal)

(リンクが切れていたらここ

抹消された「渋谷」

(リンクが切れていたらこっちここ

先週土曜の深夜に「SONGS BESTセレクション」というテレビ番組(NHK)をかけていたら、「恋のフライトタイム〜12pm〜」(2008年)という曲が流れた。鈴木雅之菊池桃子のデュエット曲で、1996年に発売された「渋谷で5時」(上に貼ったYouTube動画)の後編(12年ぶり!)であるらしい。

新曲のほうは(僕の感想としては)イマイチなのだけど、前の8月30日「スロー雷雨」とその前の8月28日「雑記2」の記事注釈で、立て続けて「飛行機」を取り上げていたので、新曲の「恋のフライトタイム」というタイトルに何となく、親しみをもちました。

2曲とも歌詞は仕事から抜け出して二人で恋して、このまま二人っきりでいたいよ、もう仕事なんかしたくないよぉ、で、どちらもほとんど同じなのだけど、新曲のほうの歌詞では12年前の曲のほうの歌詞とよく比べると、地名の「渋谷」が抹消されて「この街 飛び越えて」に変わっています。さらに、歌詞の物語の場所が「渋谷の『シアタービルの中の2階の店』」から「空港の『ロビー』」へ移動しています。これは、この12年間の、90年代からゼロ年代にかけての、一つの大きな変化ではないかと思います。

えーと…

1995年に東京「TNプローブ」で開催された「OMA IN TOKYO: レム・コールハースのパブリック・アーキテクチュア」展に合わせて発刊された「OMA/レム・コールハースのジェネリック・シティ*1で、建築家の磯崎新は「抹消された記憶と場所は…。」と題したエッセイを寄せています。

君(引用者注・レム・コールハースのこと)がanywhereにむかってノマドのごとくに移動するのは、場所と記憶の作動していない街を発見するためであることは明らかで、巷間名高い『デリリアス・ニューヨーク』では、アメリカこそが純粋モデルと思ったためだと私は推測している。ハリウッドが殺風景な丘のうえに人工的に捏造されたように、マンハッタンも露出した中州の岩盤に抽象的なグリッドをかぶせることによって成立したに過ぎない。(中略)ところが、何たることだろう。ニューヨーカーたちは、異口同音にニューヨーク*2における場所と記憶について語りはじめている*3。たった一世紀、いや半世紀しか経ていないにもかかわらず、住み込まされてしまった人々は無根拠の虚構には耐えきれないのだ。
(「抹消された記憶と場所は…。」、磯崎新、1995年)

何となく、僕の頭のなかでは今、フランク・シナトラの「New York, New York」(1977年)のような音楽がぐるぐる回っています(笑)。ちなみに、ペット・ショップ・ボーイズ*4の「New York City Boy」(1999年)はおそらく70年代の音楽のリバイバル(わざと70年代風につくった、とくにプロモーションビデオがそんな風になっている)です。ある意味、ポストモダンの音楽です。ジャミロクワイの「Canned Heat」(同1999年)と同じです。

(・∀・) ♪

そして、それから12年後の2007年に出版された「東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム*5社会学者の北田暁大は現在の「渋谷」について、こう述べてます(下記)。「渋谷」が、70年代半ばから80年にかけて構築された「意味や物語」のある「広告都市」(シミュラークルシティ)から90年代以降は「相対的に大きな情報アーカイヴ」へ変貌した、ということのようです。

いまや来訪者は渋谷に意味や物語を求めてやってきているわけではない。そうではなくて、いろいろなモノやコトやヒトが、つまりは情報が集積している相対的に大きな情報アーカイヴのようなものとして渋谷という都市を捉えているのではないか。(中略)広告都市としての渋谷は完全に綻びてしまったと言っていいでしょう。
(「東京から考える」、北田暁大、2007年)

うーん、まあ、「ゼロ年代」の世相(言論)はこんなところかな。わざと「はてな」日記っぽく書いてみたけど、これでアクセス数が一気に増えるとかあるのかなぁ(笑)。みんなが関心をもつどうでもいい話題(「相対的に大きな情報アーカイヴ」への批評、物語化)と、僕が熱中する誰も興味をもたないかもしれない話(「場所と記憶の作動していない街」としての「理科」的な未開の時空)のどちらをあえて日記に書くのかは案外、難しい選択かも知れません。

というか、僕の「はてな」の「リンク元」を見てみると、建築系のキーワードがほとんどない(人文・社会学系のキーワードはそれなりにある)という現実を目の当たりにさせられると、ついいろんなことを考えてしまいます。宇野常寛赤木智弘を見習うべきなのかとか(笑)。この馬鹿馬鹿しさ(公共性の欠如)はほんとどうでもいい感じなのだけど、それがポストモダンの生き様なのかも知れません…。

さて、明日も仕事頑張らないと。

「ふたりでサボタージュ」なんて無理(笑)。

(追記)

look at people, people drifting
look at people, people moving
look at people, people floating
within the memory and what is real
(HASYMO - The City of Light)*6

*1:Integral Project-3Strange Paradise無印都市参照(「ジェネリック・シティ」について)。

*2:babyismで「ニューヨーク」について言及した記事は、Integral Project-3の中頃にまとめてリンクした。

*3:僕の「場所と記憶」は、お盆(夏休み)前後に書いた8月10日「柏」8月13日「柏 マイ・ラブ」8月17日「柏から考える」辺り参照。

*4:7月31日「日食」参照(ペット・ショップ・ボーイズの曲リストあり)。

*5:Integral Project-2Integral Project-3Kinkyo-1参照(「東京から考える」について)。

*6:HASYMO(ハシモ)の「The City of Light/ Tokyo Town Pages」(2008年8月)のYouTube動画(リンクが切れていたらここ)。その投稿動画がオフィシャルなのかどうかまでは分からないけど、これは水面が上昇した東京の、ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線の車窓のCGです。写真家の中野正貴「TOKYO FLOAT」(2008年)の表紙のような世界です。8月27日「どこでもドア」つくばエクスプレスの動画と比べてみてもいいかも知れません。

スロー雷雨

天気悪いですね。

2008年08月29日 裏山が崩れ、崩落した家屋(東京都八王子市川町)

学生時代にレム・コールハースの「El Croquis」(絶版?)という本に収録されている集合住宅「ネクサスワールド」の写真が、雨天に撮られたものだったので、その本を貸してくださった先輩に、「ちゃんと晴れた日を選んで撮ればいいのに、もったいない」というような感想を僕がぼそっと言うと、「それがコールハースだよ」と先輩に答えられたということがありました。

その当時の僕には何のことかさっぱり分かりませんでしたが、この雨天の写真には、「建築作品の写真集のほとんどが晴れた日に撮られている」ということへの「批評」性が込められている、ということではないかと思います。つまり、コールハースはわざと天気の悪い日に撮影させた、もしくは、天気とは無関係に、撮影班が現地を訪れた日の様子をそのまま撮影させた、ということではないかと思えるのです。それは私たちの「リアリティ」に向かう手段の一つであるのかも知れません。

学生時代の話のついでに、そういえば、大学の授業である先生が「建築の見学に行くなら、雨の日のほうがいい」と述べられていました。何故なら、その建築の雨水・排水の処理がどのようになっているのかが目に見えてわかる(学べる)からです。*1

まあ今時、こんな地味な着実な設計教育をする大学は珍しいほうだろうけど、個人的には、大胆さよりも着実さを大切にする学風は嫌いではない、というか、その学風の影響を僕はもろに受けていて、着実な思考の積み重ねによってのみ、時代をブレークスルーするような新しい建築へ到達することができる、という大枠は僕の流儀・スタイルそのものであるといっても過言ではありません。それに今の僕が反しているとすれば、それは単に僕自身の能力の問題です。

とりあえず、歴史のうんちくを語ることで自らを歴史的存在の化身とする「大きな物語」(「公定」的)や、宇野常寛流に作品を人生(実存?)と短絡させる「小さな物語」(「草の根」的*2)のようなことのいずれも好まない、独特の学風ではなかったかなぁとは思います…というようなことを、大学生の方の「はてな」(ウェブ日記)を読んだあと、つい考えてしまいました…

うーん、できれば、もう一度大学に戻って、都市工学と都市経済学と社会学と哲学と数学と宇宙物理学を修得して…いや、それは絶対に無理(笑)。

( ゜Д゜) できるわけネーヨ。

まあとりあえず、自分にできることから進めて行こうと思います。マルセル・デュシャン*3は「解決はない、なぜなら問題がないから」という名言を残した*4らしいけど、僕の中では問題点は割とはっきりしています。人間は「無限」でも都市空間は「有限」であるからです*5。時間をみつけて、問題点を整理して、少しまとめてみようと思っています。

ではおしまいに、8月22日「ファスト新宿」の記事で、早回しの動画(YouTube)を貼りましたが、その反対のスローモーション撮影の動画を貼ります。*6

凄いです。

稲妻ってこうなっているんですねぇ、

大雨が続いてますが、皆さまのご無事を心よりお祈りいたします。

*1:薄氷の上の製氷機」参照(屋根について)。

*2:「公定」と「草の根」の対比は「思想地図 vol.1」(NHKブックス)の「共同討議」より。

*3:想像界 写真銃-1」と「想像界 写真銃-3」参照(マルセル・デュシャンについて)。その「-3」のほうに転載した、ル・コルビュジエ著「建築をめざして」の文章(飛行機の教訓は〜)のほうが、上記本文の内容に近いかも知れない。

*4:浅田彰のドタバタ日記(第3回)」より。8月9日「マンハッタン計画」参照(同日記、第2回について)。

*5:8月27日「どこでもドア」参照。

*6:「ギズモード・ジャパン」の「稲妻をスローモーション撮影(動画)」(8月11日)の動画より。

雑記2

はてな」の仕組みがまだよくわかってないけど、「リンク元」や「ブックマーク」や「スター」からたどって、いろいろな人のはてなブログウェブ日記)を見て回ってみた。

とりあえず、それぞれのブログのその内容の充実ぶりに驚いた。これは、はまる(おいおい、仕事はぁ?)。

それから結構、「郊外」に関する記事を書いている人もいて勉強になった。建築・都市的というよりは社会学的な感じではあるけど、その中で、これまではさんざん「ジャスコ化」について肯定的に語っていたけど、いざ我が街にジャスコがやってきたとき、「さすがにそれは勘弁してくれ」と思ったという話を語ってる人がいて、これは本当に面白かった。面白かったというより、共感した。

それは僕が「下北沢再開発」問題*1にさほど関心を示さなかったのに、いざ柏駅前にも高層マンションが建つことを知ったときの僕の戸惑いと似ているような気がします。ああ、あるよね、こういう感覚。四字熟語で言うと「総論賛成、各論反対」というあれか(笑)。

それから、またはこれは「故郷」という場所の問題かも知れない。「ネオリベ化」が進む現代の社会では、「故郷」をもつ人はどこかそんな矛盾を抱えざるを得ないのかも。その意味で、「故郷喪失者」(比ゆとしてのユダヤ人)は怖いもの知らずだろう、と思います。でも、多くの人にとって、やはり、「故郷」とは何かや「故郷」を喪失させられてしまうとは何かという問題は、これからも重要であり続けるのではないかな、とも思います。

いずれにせよ、「はてな」での「郊外」に関する言説の豊かさには凄い!と思いました。統計によると、日本では、「郊外」に約5000万人*2が暮らしているらしいから、それはごく当然の成り行きであるのかも知れないけど、僕は天邪鬼(あまのじゃく)な性格なのか、「郊外」は僕はもう語らなくてもいいような気がしなくもない…この性格は治したほうがいいのだろうか。

( ・ g・) 無理でしょー?

これから僕は「超郊外」から考えてみようと思います。*3

さて仕事するか。

日記ついでに、最近面白かったニュース。

骨で作った車の乗り心地は? インド近現代美術展(8月26日)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2510898/3256444

これは上旬の8月4日「タタ・モーターズ」と8月7日「」の記事参照(笑)、その発想はなかった。

確かに車*4は骨なのかも知れないと思わせる。または近代(モダン)と前近代(プレモダン)が直接的に接合すると、こんなふうな形象になるのかも知れない。そんなダイナミックに変容するインドは、本当に行ってみたい。

ついでに、いつも見てる「ギズモード・ジャパン」から。(8月16日)

息を呑むほど美しい、イギリスの各種トラフィックの3Dアニメーション(動画あり)
http://www.gizmodo.jp/2008/08/3d_11.html
イギリスに住む人々が愛おしく思えてきます。
BBCのTVドキュメンタリー「Britain from Above」は、イギリスをいろんな角度で視覚的に捉えてみるというドキュメンタリー番組です。
飛行機、自動車、データ、船のトラフィックについて、衛星や上空からの画像と3DのGPSデータを組み合わせ、息を飲むような素晴らしい映像を作り出しています。(後略)

これの「空路」の動画が凄いです。*5

さて仕事するか。

早くお腹がすかないかなぁ。

*1:8月10日「」参照。

*2:都市居住者は約4500万人、郊外居住者のほうが多い(1995年のデータ)。1985年頃に逆転した。

*3:8月2日「アウトレットモール」参照。

*4:Natural World-3参照。

*5:Natural World-4(飛行機の歴史)、Integral Project-3(飛行機的リアリズム)参照。